2016/5/1
1949の時空に侵入した小さな宇宙は生命を生み出した。
命は心を生み出し、その心はすでに老いを迎えて「われがなぜここに存在するのか」という問いに悩んでいる。
小さな宇宙と、生命に宿った心とは別のものであるときずいたのはつい最近である。
人型という宇宙の中で、心は何かにひかれて公転を続ける。
心に四季が生まれ時が刻まれてわれはそこに何か意味を見出そうと転がり続ける。
そのひきつける何かがおぼろげ乍ら感じられるようになってきたような来ないような。
もう65年がたって2014になったけれど小さな宇宙を取り巻く大宇宙では第3次宇宙戦争の準備が始まったようだ。
いよいよ戦争に勝とう。
大きな戦争などないほうがいいに決まっているが、この小さな宇宙の中にすでに葛藤があって
心がすでに取り返しのつかないくらいに汚物にまみれて巨大化した。
それが汚物であるからには掃除が大変で少しの掃除ではもうどうにもならない。
その小さな宇宙が寄り集まって大きな宇宙になればなるほどてのほどこしようがなくなる。
何かが滅び新しい文明が生まれるそんな文明の端境期なのかもしれない。
天の川はきれいだと空を見上げて思う。その天の川を眺めている本人が銀河の片隅の地球と言う星のその1点に生きている。
この小さな星で人は何を思う。
戦争に絶対勝つと思っているんだ。
汚物にまみれて。
小さな宇宙は光り輝いている。その周りを汚物によって肥大化した心が回り続けている。
ある日太陽に落ち込む日が来るのだろう。
その汚物まみれが太陽に焼き尽くされて心は甦る日が来るのだろうか。
大自然が仕組んだ再生のプロセス。
汚物は心の変質したもの、これを取り除くということは心そのものを取り除くということだから、苦しいと思う。
生き続けることができない可能性がある。
苦しいともがいてあがきたおして絶叫する。
それが用意された再生のプロセスなんだ。
戦争(太陽)に絶対勝つと思っている私が堕ちる地の底火の中。
「ブログから引用」(12/31更新)
年をとると年間の記憶が薄れて、年末と年始の記憶のみが思い出される。
それで昨年の忘年会の記憶がよみがえりなんと1年の立つのが早いことかと嘆くのである。
そのうち自分の存在が消滅し自分の意識のみが古い着物を脱いで新しい着物で別次元の世界に再生しているのだろ時の過ぎゆくのがこの年末になると切実に実感させられる。
この宇宙が何故存在するのか、空間や時間がなぜ存在するのかという疑問に科学は答えない。
卵型の宇宙が無限に存在するなどと考えることなどできないし、ビッグバンの始元の壁の向こうはなんなのかという問いにも答えられない。
そもそも物質がいつどこからなんのためにどうやってできたのかその終わりは在るのか、その終わりの向こうには何があるのか。
もし魂が永遠のものならその疑問に答えてくれるだろう。
しかし魂も自分の存在の意味を知っているのだろうか。
不滅のものなどあるのだろうか。
時は止まることを知らない。
いつの時かと雖もそれは今である。
何もかも消滅した後に、しかしそれも今であろうから消滅の後に魂は全ての記憶を抱えてその今をどうするのだろう。
「い」でありながら「ん」である存在は始元の今に何もない世界で人間などを作りその喜びに満ち溢れて生きる姿を見てともに楽しみたいと、この世界を作ったのだという。
それが本当なら宇宙そのものは思いから創造されているということになる。
宇宙そのものが思いで展開されている物なら、魂は宇宙の思いの中にいつの時かに帰って行くのだろう。
帰って行くというか溶け込んでいくというのか。
その無限の今という中で一瞬の意識のきらめきを人間の一生というのなら果たしてその私は親の思いに応えているのだろうか。
宇宙が思いを物質化したように人間も思いを物質化する。
生命誕生の時から何十億年かの今を通って展開している宇宙の思いがその片鱗を聞きたい。
そんなことを考えていたら、わが社に新人が入った。
今の物理学の最先端はひも理論であるのだといった。
小さな紐がいろんな時空を形作ってそこから物質が生まれるのだというが、
理と言う概念によく似ている。
ただし科学ではまだ解き明かせない時空があるのだと思うが、少しずつ明らかにされればされるほどに心のありようと真実の乖離に絶望しなければならなくなるだろうと思う。
小さな宇宙から生れ出た我がわが心の暗闇に愕然とする日が来ている。
2015/4/5この日ユーチューブでNHKのアインシュタインロマンを見る。
物理学の先端を映像で分かりやすく説明しているのだが5では原爆投下からそれ以後の科学の在り方についての問題提起であった。
折も折時の日本の総理は戦争のできる国へとこの国の法を作り直そうとしている。
それがいいことなのか悪いことなのか神のみぞ知るであろうが、生身の人間にとって,この法が明るい未来を創るのだろうか。
人は、あるいは物質は物理の法則によると、永遠に等しい時間をかけて真空のエネルギーから生み出されているものだそうだが、人間が自らを生み出したわけではない。人間は大自然の中から生み出されてきたものである。
その大自然を神と言おうが、大宇宙と言おうが、こだわる必要もないのだろうが、アインシュタインロマンの中で科学が東洋の精神と融合しようとしている兆しをほのめかしている。人間が長い時間の中で獲得した知恵の統合化だ。
真空から侵入した小さな宇宙は等身大の宇宙の中で目を覚まし何十億かの人類と共鳴を起こすのだろうか。物欲がすべてを破壊する前に。
2015/8/16恐ろしい世の中になったものだ。対立と闘争を煽るものがいる。
1945年以前の軍神がよみがえるのだろうか。
軍神はすべて裁かれたと聞いたが。
裁かれたことに間違いがないのなら、平和の世に向かっているはずなのだが。
おそらく世界の情勢はすべてが平和に向かうはずだ。
小さな宇宙はそのように自分を変えるだろう。とすると大きな宇宙では大自然が猛威を振るうのか。
何かが変わるはずなんだ。と、楽観している。
小さな宇宙が自らを破壊するはずがない。
2015/12/31
無数の銀河の中に天の川その中に太陽系の中の地球。その星に生きる人たちは矛盾を抱えて生きている。宇宙が存在することが不思議。
その宇宙に自分が存在することの不思議。明日が来ることの不思議の中で不思議であるということさえ心に浮かばない。この世界に生きられるのは宇宙時間でいうとほんの一瞬八十年。
私の持ち時間も後数えるほどしか残っていない。
その時が来れば永遠の中へ溶け込み漂うのだろう。それは形のない存在。
それなのにこの一瞬にすべてを取り込もうと肥大化する。
重く沈むものは石。永遠の中に溶け込み漂うこともこともかなわない。
2016/5/1
危険な時代になってきた極東地域。
それぞれの国家が疑心暗鬼のまま自己主張する時代。
経済力を上げる。政治力を上げる。軍事力を上げる。一連の流れをスムーズに行うためには、思想統制が必要になる。
それぞれの国が、国民を欺いて独裁体制を築く。
どんどん頭でっかちになる代わり手足胴体が委縮する。
ブレーキの壊れた車に乗って突っ走るようになると、ただ勝ち残るためだけにエネルギーが消費される。
人の理性が恐怖の感情に押されて暗闇の時代が続くのだ。
生き残って種の繁栄を望んできたのは生命だが、欲望にはきりがない。
小さな虫でも縄張り争いをするまして人間は猶の事。
もともと小さな生物から進化してきたのだから勝ち残ろうとするにはそれだけの理由があるのだ。
富を握り支配するにはそれだけの理由があるのだ。たとえ自滅の道であろうと、人は自分の命をつなぐために闘争する。
自然はそれを許してきた。
しかし人間以外の生物は足りることを知っている。
食物連鎖の中で生命は自然と調和される。
人の欲望は自然の摂理に背いて巨大化する。巨大化は滅亡の始まり。それもまた自然の摂理。核戦争が起きても人類は滅亡するだろうが、生命は滅亡しない。
何億年かののちには、別の知的生命体が興るだろう。
宇宙自体が生命なのだから、「人間」が楽しく生活するのを見てともに楽しみたいという、元なるものの思いが、いつの日か実現するだろう。4度目の絶滅を乗り越えて。
正念場と言うか分かれ道と言うか、分かれ道に来たら苦労するだろう道を進めと言う。
練り合い。だんじあいと言うそうだ。一番苦労するという道はきりのない欲望にブレーキをかけることだと思うが。
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