小林君の小さな宇宙


本の紹介


矛盾を超えて
序文の掲載   2012/1/1


矛盾を超えて
天人まつき・そうえん女史伝記
  初版  昭和43年10月8日 
第二版 昭和43年11月8日 
第三版 昭和46年2月8日  
第四版 昭和48年4月8日  
第五版 昭和50年4月1日  
編集者 菅原茂次郎
発行所新しい道の場
大阪府羽曳野市埴生野294
印刷所東洋プリント株式会社
無断転載を禁ず

松木天村 
 天啓宗教として世に知られる天理教------その教祖中山みきは、天の将軍と名乗る、国常立尊の台であったことは、天理教本部の諸文献によっても明らかにされている。
 しかし晩年の教祖は、高天原最高神の座に上昇し、常住坐臥、高御産巣日神が身の内に入込んでいた。このことは、神霊みきのみの知るところであって、天理教者の何人も知るよしもない。
 天村は、本書伝記の主人まつき・そうえんと神界のみきと交した数々の物語の中に、みき自らの語るところによって知り得たのである。そればかりではない、教祖の伝記中にみられる------
「村の悪童たちは、みきが通るのをみると、“キツネつきのばあさん”と、はやしたてた。大人たちは“狐つきだと思ったら、みきさんに貧乏神が取り憑いたそうな”と、噂しあった」 《青木晨著「天理教」P69》
この巷間の噂を裏づけするものがある。
「わてはなあ、24のとき三輪の玄賓庵で修業していましたんや。その頃に白狐がつきましてなあ」《そうえんとみきの物語の一駒・奈良県桜井市三輪町、三輪山の麓に今は荒廃した玄賓庵が残っている》  
この類の動物霊が人間に憑依する例は、今日のような文化の進んだ社会でも縷々見うけられる。みきに憑依した白狐は、普通の動物霊と違い、霊位の高い国津神に属する、天津神国常立の使徒である。思うに、みきは、天啓降下の以前から、ずうと国津神に守られ導かれていたようである。 
こうした事実は、天啓の品位を傷つけるものではない。神と人間がむすばれて上昇して行く順序と上昇の段階を教える貴重な資料である。
 
天保と昭和とは1世紀以上時のへだたりがある。殊に社会情勢に至っては雲泥の相違である。従ってそうえんの天啓と、みきの天啓は、同じ天の将軍の名によって降下したが、その様相は同じではない。

「天の将軍国常立尊------この女《そうえん》を生きながら神の座に据えしぞ------八大驚け、三輪驚け、蔵王驚け、神変驚け!国津神は頭を下げよ!天津神は頭を上げよ!」
と抜き差しならぬ宣命が降下した。それは昭和27年12月10日のことである。
その数日前から天村の家には、不思議な現象が次々と起こっていた。最初は白龍大神、八大竜王大神、次に大三輪大神、蔵王大権現、神変大菩薩と名乗る順序で、国津神々の降臨が続いた。

そうえんはもとより、天村にしても、こんなことは夢にも考えたことも、願ったこともない。文字通り突如として、生死をかける困難な問題がのしかかったのである。
尓来天村一家は、暗雲低迷に包まれ、不安と焦慮の中に毎日を過ごした。この間、昼となく夜となく、国津神はもとより、国常立尊、高御産巣日神、神産巣日神と天津神々の降臨となった。そうえんともども、天村も娘佳子も、世ならぬ深い神秘の中に置かれ、三っ巴の厳しい神々の仕込み《試錬》を享けるものとなった。

 天啓降下以来満3年目の昭和30年12月28日
「日本根の国、底の国、根なし草ではないほどに、根が現れた!さあさあさあ」
 と、そうえんのすみきった力強い音が、部屋中一杯に響きわたった。
この日から不思議にも、彼女には、国津神、天津神々の交流がなくなり、神秘のとばりは清々しく開け放たれた。後日これを思うと、この時、そうえんの霊性《みへそ》が、磨き切られ、開け切って、高度の上昇飛躍をとげ、天の究極のものにつながったのである。別の言葉にすると、彼女の身の内に、根の神が入込給うたのである。

明治7年天理教祖中山みきのお筆先3号に
「いままでは、からがにほんをままにした、神のざんねんなんとしょやら。このさきは日本がからをままにする、みないちれつはしょちしていよ。おなじ木の根へと枝とのことならば、枝は折れくる根はさかいでる。今までは、からがえらいというたれど、これからさきは折れるばかりや。日本みよ、ちいさいようにおもたれど、根が現ればおそれいるぞや。このちから人間わざとおもわれん。神のちからや、これはかなわん」
 このお筆先は日本の瑞祥ー百年後に現れまして世を救う、根の神《隠れ身の神》のことが予言されている。

それから後のそうえんは、天人の呼び名を天から与えられ、この道を新しい道、また天人の勤める場を、天の場といわされ、世に向かって「天の理」を筆に口にはっぽうするようになった。
 その頃に深く印象づけられた天村の記憶から、女史の語録のいくつかを挙げてみる。
 「天の理があるから神がある。神があるからにんげんがある」
 「人は種をまいたから芽が出るというけれど、本当は種から根が生えて芽が出る」
 「この道は、わたし一代限り、千人の紫の紐もちをつくるのがわたしの仕事。わたしが天から貰っているものを千人の男にわけて全部お渡しする。この千 人は自分を掘って掘り下げて、立派なへそになりおうす、人間自己完成者である。この千人が天につながり国づくりがはじまる」
 「へそは、根の神の分霊である。やがて、万人がへそ《根》のことがわかって、自分のへそを拝む。そうなった時、日本の国は立派にたてかわり、世界か ら拝まれるようになる。これ天の仕組みである」
 「国は自分のものやと思いや、さあさあそこなんじゃ。神ながらは、国は自分がおるとこう云うたがな、もうこれからは、自分のものやと思わすんでな」

 現在の羽曳野に新しい道の場が出来た時、天人女史は周囲の人々に次のように語っている。
 「この場は、私がつとめする場で、ご縁のある方におめにかかり、人の誠をみさだめて天の理を嵌込まして差し上げる」
 「ここは拝み祈祷や、ご利益信心のところではありません。ここは皆さんの心の掃除をするところ。面々の業を果たして、運命が切りかえられるところ」
 「わたしを御簾の中に祭ったり、教祖に仕立てたりしては困ります。朝夕拝むこともしません。ここはほん無垢の素人です」
  
 洵に素朴な言葉で表現されているが、明日の宗教の在り方を示すものであり、また、神の観念を是正し、人間概念の革命を促す宣言である。
 この異色の伝記は、平凡な一人の女性の生い立ちから、生きながら天に上昇するまでの奇しき運命のものがたりである。しかし、彼女の盤根錯節の人生行
路とともに、世にも稀な神と人間が結ばれる神秘の世界が手に取るように描き出されている。
また、縁につながる無力、不徳の野人、天村の恥多き半生の姿が、容赦なく世にさらされている。
 今天村は、天人女史の徹しきった真実のまことのたまものにより、過去の功罪すべてが生かし切られ、天意現成、新しい道の旗持ちとして、老骨を挺し、陣頭指揮に立ちあがらされている。
 その彼は、彼女《天人女史》に
 《一隅を照らすもの此れ即ち国宝なり」  《伝教大師語録ー山家学生式より》
 この先賢の語録を捧げて、序文の責を果たさせて頂く。


  昭和43年7月28日      於  松籟閣


理に関する語録
       (小冊子からの写し)    2012/1/1

   
理の要諦
 この場この道は、理をもととして法を形成する
 理は、天につながる縦の秩序であり、法は、地上に展開する横の順序である。
 ------語録の中から、理に関する個所を抄し、場につながる人々の座右に贈る。
 理は種であり、根である。
 法は幹であり、枝葉である。
 この要語を深く掬し、根に至る栄光の大門を開かれんことを。 
 
理とは  天にあり
理とは  一切の大本なり
理とは  もとになるもんぞい
理とは  天のみすえじゃ
理とは  すべてをすべてにする王なり
理とは  一切をふくむもんぞい
理とは  あってあってありきるもんぞい
理とは  あうもんぞい
理とは  五臓じゃ
理とは  胴じゃ
理とは  絶対じゃ
理とは  上じゃ
理とは  そう(総、蒼)じゃ
理とは  根本ぞい
理とは  月じゃ
理とは  日じゃ
理とは  水じゃ
理とは  あじじゃ
理とは  香りじゃ
理とは  愛じゃ
理とは  あかし(証、明)じゃ
理とは  おん(音、恩)じゃ
理とは  こえ(声、肥)じゃ
理とは  尊いもんぞい
理とは  重いもんぞい
理とは  もっとも(最も、尤も)のもんぞい
理とは  曲げられんもんぞい
理とは  深いもんぞい
理とは  つまるもんぞい
理とは  厳しいもんぞい
理とは  得難いもんぞい
理とは  直ぐなるもんぞい
理とは  さきに立つもんぞい
理とは  まわるもんぞい
理とは  法になるもんぞい
理とは  成るもんぞい
理とは  生むもんぞい 生ましめじゃ
理とは  狂わんもんぞい
理とは  よんどころないもんぞい
理とは  た(垂)らすもんぞい
理とは  放るもんぞい
理とは  ともすもんぞい
理とは  乗るもんぞい
理とは  あたえるもんぞい
理とは  打つもんぞい
理とは  もん(文、紋、門)じゃ
理とは  せくもんぞい
理とは  きめてがあるもんぞい
理とは  摘むもん、摘みに摘むもんぞい
理とは  だめがあるもんぞい
理とは  きざすもんぞい
理とは  きりがないもんぞい
理とは  増すもんぞい
理とは  幅があるもんぞい
理とは  奥があるもんぞい
理とは  底から湧くもんぞい
理とは  見えんもんぞい
理とは  ひそむもんぞい
理とは  ふせこみがあるもんぞい
理とは  ゆわんゆえんのめんがあるもんぞい
理とは  日に日に新たなるもんぞい
理とは  生き通るもんぞい
理とは  はくいきじゃ
理とは  つくいきじゃ
理とは  すじ(條、筋)じゃ
理とは  もとがあるもんぞい
理とは  そもがあるもんぞい
理とは  道理じゃ
理とは  順序じゃ
理とは  得手があるもんぞい
理とは  自分を立てるもんぞい
理とは  ごくう(御供)があるもんぞい
理とは  成るのも理 成らんのも理じゃ
理とは  へそにあるもんぞい
理とは  運ぶもんぞい
理とは  もどるもんぞい
理とは  通るもんぞい
理とは  素直であるもんぞい
理とは  あいかわらんもんぞい
理とは  うちたがわんもんぞい
理とは  よ(寄、撚)もんぞい
理とは  「あい」 「おう」じゃ
理とは  添うもんぞい
理とは  じゅんおうするもんぞい
理とは  踏むもん 踏みに踏むもんぞい
理とは  歩むもんぞい
理とは  行くもんぞい
理とは  行ずるもんぞい
理とは  進むもんぞい
理とは  みそぐもんぞい
理とは  打たれるもんぞい
理とは  果たすもんぞい
理とは  盡すもんぞい
理とは  差し出すもんぞい
理とは  いただくもんぞい
理とは  奉るもんぞい
理とは  立てるもんぞい
理とは  こう(功、甲)を立てるもんぞい
理とは  捧げるもんぞい
理とは  うやまうもんぞい
理とは  まことのまことじゃ
理とは  もとを知るもんぞい
理とは  知るもんぞい
理とは  さとるもんぞい
理とは  取るもんぞい
理とは  け(気)どるもんぞい
理とは  読むもんぞい
理とは  拝がむもんぞい
理とは  汲むもんぞい
理とは  積むもんぞい 
理とは  掘るもんぞい
理とは  こめるもんぞい
理とは  つめるもんぞい
理とは  買うもんぞい
理とは  賣もんぞい
理とは  返すもんぞい
理とは  徹するもんぞい
理とは  必行ぞい
理とは  身の内にあるもんぞい
理とは  自分を知るもんぞい
理とは  分に分があるもんぞい
理とは  苦汁じゃ
理とは  は(掃、吐)くもんぞい
理とは  すみ(澄、角)きるもんぞい
理とは  まん丸いもんぞい
理とは  太るもんぞい
理とは  ふくらむもんぞい
理とは  働くもんぞい
理とは  吹き出るもんぞい
理とは  ほとばしるもんぞい
理とは  ねりにねるもんぞい
理とは  とちらんもんぞい
理とは  続くもんぞい
理とは  切り目があるもんぞい
理とは  ねんじゃ
理とは  立てあうもんぞい
理とは  立つもんぞい(男は立ちますえ、女はへいつくばるえ)
理とは  わ(和)じゃ
理とは  わをわにするもんぞい(和の輪)
理とは  つながるもんぞい
理とは  ふるうもんぞい

語録の一節
 この道を 果たしという
 果たす気なら 何でもない
 果たしたくない だから苦
 なぜなれば われ天に借りがある
 だから平気 苦は むしろ 喜んで買う

            (ともし抄)

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